5月29日。
日本ダービー当日。
1レースに間に合わないなあと思いながら家を出発した。
さて話は前日に遡る。
私は競馬予想TVを見ながらダービーの予想をしていた。
心の本命はドウデュースだと思っていた。
ダービーはドウデュースでしょ!と思っていた。
でもこれは信者の妄信である。
また実際の馬券で豊さんを本命にするには怖さがあった。
そう言った意味では私は完全になる信者ではないだろう。
信じてるけど信じてない。
そんなアンバランスを持ち始めたのはいつからだろうか。
自分の負の力はなかなかであることは自覚している。
肩入れする馬は追って案外な感じになるし、肩入れした人は好きだと自覚してから1年と4か月後に何かに見舞われる。
豊さんも例に漏れず、2010年の毎日杯がそれに当てはまる……。
だからこのままドウデュースに全力投球していいものかという想いがずっとある。
今もそうだ。
一方で脳内のもう一人の自分が推しは推せるときに推さねええでどうするんだと叫んだ。
その声に従いドウデュースのストラップとボールペンは買っていた。
ところで私の重賞レースでの予想方法はJRAのホームページのデータ分析を参照して当てはまる馬に加点していくというもの。
ドウデュースがその最上位であることを望んでいるのかいないのか、自分の気持ちがよく分かっていないままデータを調べていく。
何の運命かドウデュースが唯一の最上位になった。
ここで脳内の私が推せる時に推せええと言ってきた。
私はキタサンブラックの時のことを思い出した。
あの時はキタサンに全権委任していた。
ドウデュースはキタサンと同様顔で惚れた馬である。
私は腹を決めてドウデュースを本命にすることにした。
さあ時計の針を当日に戻そう。
2レース前に到着する。
スマートシートを取れなかった時点で内馬場で見ようと思っていた。
多少右往左往してゴール板がよく見える所をキャンプ地とした。
本当に雲一つない空。
容赦なく降り注ぐ日差しと紫外線。
日焼け止めは塗ったし、日傘も持ってきたけど、風は時折吹くけれど、こりゃへばるなと思いながら観戦する。
とにかく水分を取って(給水コーナーには救われました)、除菌用のウェットティッシュを首の後ろに乗せたりなど工夫をしながらダービーまで過ごした。
10レースの馬券を買うときに目黒記念までの馬券を買う。
人がいっぱいだろうなというのとダービー終わった後の精神状態が想像できなかった。
そりゃ勝って欲しい。
でも勝つのは余程のことがない限り1頭なわけだから負ける確率の方が高いわけで。
勝ってボロ泣きの世界も描いてはいるけど、負けて芝生の上で倒れてる想像もあったから。
レース前からずっと思っていたのはどんな競馬するんだろうなということ。
弥生賞も皐月賞も理解はしたけど納得していたわけじゃないかった。
枠は7枠13番。
確かに皐月賞で見せた脚は目を見張るものがあった。
武豊のダービーの勝ち方を思い出してみると、やはり末脚を生かすのだろうか。
正確なビジョンを描けなかった。
色々な人がダノンベルーガやイクイノックスなどの馬を挙げる中、勝つのはドウデュースだろと口には出さないまでも思っていた。
しかしまた言うがこれは妄信だ。
皐月賞の時も思ってた。
だから皐月賞は悔しくて、ダービー勝ってやると燃え滾った。
ただの一ファンなのにね。
先週までは別界隈の推し事に気を取られてはいたが、今週はドウデュースのことが絶対頭にあった。
他人に話せば何でそんな鼻息荒くと思われるかもしれない。
だって豊さんに勝って欲しかったから。
キズナのダービー以降の騎乗馬を振り返ってみると、ポルトドートウィユやエアスピネルは個人的に熱かったけど、ファンだからワンチャンあればと思うけど……な感じだったかもしれない。
当時の自分の言動がどうだったかが定かじゃないんだけど。
そういう意味ではキズナ以来のちゃんとした期待を持てる馬だった。
あと今年や去年は特に、豊さんを応援していて歯がゆかったりもどかしい思いをたくさんしている。
騎手ファンというのは必ずこういった思いに駆られると私は思うのだが。
不平不満はゼロじゃない。
だけど私はお花畑でいたいからTwitterでは上澄みしかツイートしなくなった。
異論はあるだろうけど、一番幸せなのは自然にお花が生えているファンだと思う。
私はお花を枯らさないようにしてるタイプのお花畑だと自分では思っている。
なんだか余分な話をしてしまった。
さて豊さんは御年53歳。
武豊(53)ってびっくりするよね。
年上の人がまだ4人いるというのも凄い。
常人と違うとはいえ50代。
ルメールや福永、川田などのリーディング常連がいて、岩田望来や武史などの若いのも出てきている昨今。
彼らと同等なことを求めるのは酷なのだろうか。
そう思わなくはないけれど、かといって私はもうジョッキーは他の所に行ける気がしない。
執着と片付けてくれて構わない。
心に残る風景がある、2013年のダービー、2017年の天皇賞(秋)―――。
今年のダービーもそういう風景であることを祈った。
私のこういった想いを全部晴らして、バカかっこいいとボロ泣きさせてくれ、そういった自分勝手なエモーショナルをレース前は持っていた。
だんだん纏まりがなくなってきたから当日の風景に戻ろう。
本馬場入場で地下馬道から出てくるドウデュース。
初めて生で見るドウデュース。
スムーズに返し馬に入るドウデュース。
贔屓目で見てめちゃくちゃ輝いて見えた。
石川さゆりさんの君が代に拍手して、あっという間に15時40分。
ファンファーレが高らかに鳴る。
約6万人のファンの手拍子が響く。
すっかりコロナ前の風景に戻っていた。
やがてゲートが開き、18頭が私の目の前を駆けていく。
レースの様子は私のいる所ではターフビジョンがちゃんと見えなかったため、ドウデュースがどこにいるのか分からなかった。
ただただ直線を迎えるのを待った。
そして迎えた最後の直線。
誰かがドウデュースの名を言った気がした、豊さんの名を叫んだ気がした。
私もドウデュース!豊さん!と声が出た。
人だかりで直線の様子も定かじゃない。
歓喜のボルテージは上がっていく。
私がちゃんと見えたとき、視界にはドウデュースとイクイノックスがいた。
そしてドウデュースが1着でゴール板を駆け抜けた。
その瞬間涙が出てきた。
わあーとか叫んでた気がする。
あとその場を1周した。
アイメイクが崩れるなんて気にせず涙がポロポロ出てきた。
夢だったらどうしようなんて思った。
歓喜のウイニングランへ向かうドウデュースと豊さんが私の視界に現れる。
歓声の止まないスタンド、それに応える豊さん。
嗚呼、私はまたこれが見たかったんだ。
忘れられない景色がまた増えた。
自然と湧き上がるユタカコールは何度聞いたっていい。
こんなの見せられちゃったら惚れるしかないじゃん。
大舞台で輝く豊さんは宇宙一かっこいいんだから。
これを人は心酔と言うし、恍惚と言います。
こういうカタルシスがあるからたまらないのです。
やみつきになるのです。
やめられないし、止まらないの。
もちろんそんなつもりは毛頭ありませんが。
表彰式は内馬場の投票所の中で見た。
松島さん良かったねえと心底思った。
この松島オーナーというのがとにかく凄い。
一般庶民の私が推しにできることなんてせいぜい馬券を買うこととかグッズを買うぐらいだけど、松島さんは推しのために何億もの値段がする馬を何頭も買ったり、あの泣く子も黙るクールモアグループと関わりを持ったり。
豊さんのあのジムもオーナーの会社がやっている。
庶民が引くぐらいの貢ぎっぷり。
それだけ豊さんに魅了されてるってことだろうけど、とにかく桁違い。
半端ない。
これを愛と言わずに何が愛だろう。
そこに愛はあった。
そしてこのダービーでその愛が勝ったのだ。
必ず最後に愛は勝つ、という歌詞があるけれど、まさにそれだ。
だけどこの愛はまだ結実しちゃいけない。
彼らには凱旋門賞という目標がある。
何もなければドウデュースは秋フランスへ行くことになるだろう。
勝負になるのかならないのか。
現時点でそんなことは分からない。
そこにまず行かなくちゃ、勝ちも負けもできないんだから。
もし、そんなことがあるのならば……出来すぎ?でも豊さんってそんな出来すぎのストーリーを歩まれている方じゃないですか。
下手なフィクションよりフィクションなこともあるし。
今回のことだって完璧なシナリオだったじゃないですか。
今から秋が楽しみです。
表彰式が終わった後はキャンプ地に戻ってかき氷を食べた。
生きてて良かったと冗談じゃなく本気で思った。
死にたいとかは思ったことないけど、生き辛い世の中ではあるから。
またああいう景色が見たい。
その想いが私を突き動かす。
また見られるかもしれない、いやまた見られるはずだ。
だって空が雲一つなかったから。
ダービーまでは憎らしかった日差しもこの時はそんなこと思わなくなった。
ダービーは気持ちの良いぐらい晴れていないと。
そしてその晴天が豊さんには似合うんだ。
2022年のダービーは私にとって最高の結末でした。
またこういう景色が見られるように日々徳を積むことにします。
あとドウデュースくん関連の物は買います。
いやあそれにしても本当に、本当に、最高でした。
豊さん、日本ダービー優勝おめでとうございました!!!!!!
END