・5月28日
ダービーデー。
父親が競馬ファンゆえ小さい頃から競馬場に連れていかれていた私。
一番古いダービーの記憶はどこだろうと考える。
確実に覚えてるのはジャングルポケットの時だ。
ゴール後に鳴いていたジャンポケに反応していたのを覚えてる。
タニノギムレットの時は雨が降って虹が出ていて、キンカメの時にハーツクライと出会い、ディープスカイの時はブラックシェルを応援し、エイシンフラッシュの時はローズキングダム、ヴィクトワールピサ、ルーラーシップ、レ―ヴドリアンを応援し、キズナの時は感動し、ワンアンドオンリーの時はトーセンスターダムが埒にぶつかったことに驚き、マカヒキの時はエアスピネルに夢を見て、ワグネリアンの時はいっくん良かったねえとなり、ロジャーバローズの激走に驚き、ドウデュースでまた感動し……ダービーの現地観戦の記憶はざっとこんな感じ。
競馬ファンならダービー馬はスラスラ言えないとねえ。
私はアイネスフウジンから言えます。
なんてダービー語りは脇に置いておいて。
この日はスマートシートを取れなかったので入場券で来場。
去年と同じように内馬場から観戦。
人の多さと暑さと馬券で私の情緒は乱高下。
昼食の時にテーブルを傾けてきやがった子供には危ないなと文句は言った。
もし食べていたラーメンに万が一のことがあったら私はブチギレていたであろう。
でもガキは来るんじゃねえとは言えない。
私も子供の時に競馬場に連れていかれてたから今がある。
少子高齢化の今、未来の競馬ファンを増やしておいて損はないのだから。
テンションを上げてくれるのはやはり武豊さまである。
ダービーのジョッキー紹介は内馬場から双眼鏡で豊さんの後頭部を眺めてた。
キャルレイのレースでは惜しくて興奮した。
あと私には豊さんとオーバーラップしている推しがいるのですが、その推しのアクスタをお守り代わりに持っていっていた。
とあるレースのとあるジョッキーのとある騎乗にキレ散らかしそうになったけど、そのアクスタを見て心を落ち着かせた。
……推しは偉大である。
さて日本ダービーの話をしよう。
去年は切実に勝利を願っていたが、今年は余裕があった。
去年勝っていたこともあり、今年大阪杯を勝ってるし、重賞6勝しているし。
だから余裕を持ってファントムシーフを本命にした。
私は馬券は愛とデータで決まるから。
結果は残念だったけどまあいい。
そうは簡単にいくわけがありません。
また来年と前を向くのです。
理想はドウデュースくんのようなパートナーが良いんですけどね。
勝ったのはタスティエーラ。
これまた個人的に(ここ重要)思い入れがないのでそれ以上でもそれ以下でもないというか。
レースはまずドゥラエレーデの落馬競走中止に驚き、レース後はスキルヴィングの様子に驚いた。
こういった大レースだからこそ、こういった出来事の影響力はすさまじいとは思うけれど。
ああいう人達(察して)って潰すだけ潰してその後のことって絶対考えてないよね。
そんなの憎しみの連鎖が起きますやん。
競馬というのは自分たちが生まれるずっと前からあるわけで、廃止したけりゃタイムマシンでその時代に戻るしかなくない?って思ってしまうわけです。
というか人間を作り直すところから始めたら万事解決じゃんと思ってしまうわけです。
ええ、これは屁理屈でしょう。
うちらはうちらでやってるからそちらはそちらでよろしくやってよって思っちゃう。
住み分けって大事でしょ?
それが巷で言われる多様性じゃないの?
光が強ければ強いほどその影が濃くなるのは当たり前で、競馬をしている以上そういったことはどうしたって避けられない。
だから私は割り切ってる。
いや割り切って飲み込んで受け止めないと、あえて感受性を低くしないとやってらんない。
それが嫌なら勝手に出ていけばいいだけの話。
勝手に好きになったわけなんだから。
それでも私が競馬ファンをしている理由は豊さんが8割、ギャンブルが2割。
競馬観戦歴20年、ユタカファン歴15年、小学生の時から培い続けた「好き」という気持ちを大切にし続けたいなと思うのです。
これ問題は遠くない未来、豊さんがいなくなった時どうなるかなんですけど、それはまあひとます置いておいて。
なんだか脱線して熱くなってしまった。
SNSの発展により人間のめんどくささが可視化されて、日々思うことがあったのです。
SNS疲れは日々してる。
だけど推しの情報にはSNSが不可欠。
これが日々のジレンマ。
というわけで日本ダービーが終わりました。
ダービーが終わると1年終わったなってなっちゃう。
次週からはもう新馬戦。
POG登録しないとね。
次回は安田記念編。
ジャックドール武豊を生で見られるのが今から凄く楽しみです!